木工家・栗原政史の作品と暮らし。岐阜の山間に根ざした制作の日々

木工家・栗原政史の工房は、岐阜県高山市の山間にあります。都市から離れた静かな環境の中で、栗原は毎日木と向き合い、作品を作り続けています。工房の立地や日々の暮らしのリズムは、作品の質と切り離せない関係にあります。どのような場所で、どのような時間の流れの中で制作しているか。そうした環境が作品に何をもたらしているのかを、本記事では探ります。

山間の工房を選んだ理由

高山市の山間に工房を構えることは、利便性を犠牲にする選択です。素材の仕入れも、作品の発送も、都市に比べれば手間がかかります。それでも栗原政史がこの地を選んだのは、制作に必要なものが、都市ではなくこの場所にあるからです。

山間には静けさがあります。制作に集中できる静けさは、騒音の少ない環境だけでなく、情報の過多な刺激が少ない環境からも生まれます。都市では常に何らかの刺激に晒されていますが、山間の工房では、木と向き合う時間が自然と主役になります。

また、高山市の山間は豊かな森林に囲まれており、地元の間伐材や風倒木を直接入手しやすい環境にあります。素材の調達のために遠くへ出かける必要が少なく、地域の森との直接的な関係の中で制作できることが、栗原の素材哲学を支えています。地に足のついた制作環境が、地に足のついた作品を生み出しているのです。

高山の山間を選んだことは、生活全般の速度を落とすことにもつながっています。都市的な利便性とは交換できないものを、この場所が与えてくれている。木と向き合うために必要な時間と静けさ、それがこの場所にあるという確信が、栗原をここに引き止めているのでしょう。

朝の時間から始まる一日

栗原政史の一日は早く始まります。夜明け前後に起き、まず工房周辺の空気を感じる時間を持ちます。その日の天候、湿度、風の向き。これらは木材の乾燥状態や削りやすさに影響するため、朝の自然の状態を感じ取ることが制作の準備になります。

朝の工房は静かです。まだ日が高くない時間帯の光の中で、木材を手に取り、その日の状態を確かめる。前日の続きで作業中の木材が乾燥によってどう変化したか、割れが広がっていないか。そうした確認の後、その日の作業の方向を決めます。

朝の時間に制作の核心的な判断をすることが多いと言われます。一日の中で最も頭が澄んでいる時間帯に、木との対話の方向を定める。夕方になれば疲れも蓄積され、判断が鈍くなることもある。朝の静けさを制作の中心に置くリズムが、栗原の一日を特徴づけています。

朝に工房に入るとき、木くずと木蝋と鉋屑の混じった香りが広がります。その香りそのものが、制作の場所への感覚を整えるきっかけになります。香りが体を制作のモードへと誘う。そうした感覚的なルーティンが、栗原の毎日の制作の入り口になっているのでしょう。

夕方、光が変わり始めると作業を止めることがあります。木材の色の見え方が光によって変わるため、判断には一定の光の条件が必要です。一日の作業を終えるとき、その日に削った表面を確かめ、翌日に何をするかを頭の中で整理する。そうして一日が完結し、また翌朝の始まりへとつながっていきます。

工房という場所の意味

工房は単なる作業場ではありません。木材が保管され、道具が並び、作品の途中の姿が置かれている工房は、制作者の思考の外側に広がる延長です。栗原の工房には、制作中の複数の作品が同時に存在していることが多く、それぞれが異なる段階で乾燥し、待機しています。

木工の制作は一度に完結しません。木材を粗削りして乾燥を待ち、また削って乾燥させ、少しずつ形を整えていく過程に、多くの時間がかかります。工房にはそうした時間の経過の中にある作品が、静かに待っています。工房を歩くとき、栗原は現在進行中の作品だけでなく、次の段階を待っている複数の作品と同時に向き合っているのです。

工房の道具も、制作の一部です。長年使い込まれた鑿と鉋は、栗原の手の動きを記憶しているかのような馴染み方をしています。道具と制作者の関係は長い時間をかけて育まれるもので、工房はその関係が蓄積されていく場所でもあります。

工房の配置にも、栗原の哲学が表れています。よく使う道具はすぐに手が届く場所に。乾燥中の木材は風通しの良い場所に。作品の最終確認をするための、光の良い場所が設けられている。一つひとつの配置が、制作の流れを支えています。

素材の調達と森との関係

栗原政史は地元の森林組合と連携し、間伐材や風倒木を素材として受け取っています。これは単なる素材調達の方法ではなく、森の健全な管理への参加でもあります。間伐は森の光環境を整え、残った木の成長を助けるために必要な作業ですが、出てくる間伐材の活用先が少ないことが課題でもあります。

栗原の制作は、こうした間伐材を価値ある素材として受け取ることで、森の循環の一部を担っています。切られた木が廃棄されるのではなく、作品として長く使われる生命を得る。その循環の意識が、栗原の素材選びの根底にあります。

地元の森との直接的な関係の中で制作することは、抽象的な「環境への配慮」ではなく、具体的な場所への愛着と責任から来ています。高山の森に育った木が、高山の工房で作品になる。その場所の一貫性が、栗原の作品に地に根ざした重みをもたらしています。

森林組合との関係は、単なる取引ではなく、地域の自然をともに管理するという共同意識の表れでもあります。どの木を間伐するか、どのように乾燥させるか。その情報が共有されることで、栗原の制作は地域の森の状態と直接つながっているのです。

森から届く素材は、常に均質ではありません。ある時期に届く木は乾燥が進んでいて制作しやすく、別の時期には含水率が高くてすぐには使えないこともある。そうした自然の不均質さを受け入れながら、制作のタイミングを木材の状態に合わせていく。栗原の工房のリズムは、森のリズムとともにあります。

四季とともに変わる制作のリズム

山間の工房では、四季の変化が制作のリズムに直接影響します。夏は湿度が高く木材の乾燥が遅い。冬は乾燥しすぎることで割れが生じやすくなる。春秋は制作に最も適した時期で、木材の状態が安定しやすい。栗原は四季の変化に合わせて、制作の内容や素材の管理の方法を変えています。

冬の工房は寒く、朝の気温は氷点下になることもあります。そうした環境の中で制作を続けることは、都市の快適な工房とは異なる身体的な体験です。寒さの中で木を削るとき、木材の冷たさが手に伝わり、その中に木の硬さや繊維の状態が読み取れます。環境の厳しさが、素材との向き合いを深める側面もあるのでしょう。

四季を通じた制作は、同じ場所に繰り返し通い続ける写真家のように、時間の積み重ねの中で深まっていくものです。春に始めた作品が秋に完成するとき、その作品には一季節分の時間が封じ込められている。栗原の工房における制作は、そうした時間との丁寧な関係の中にあります。

山間の四季は都市のそれより鮮明です。春の山の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉と枯れ葉の匂い、冬の雪が積もった静けさ。工房の外で移ろう季節が、工房の中の制作者の感覚にも影響を与えます。木と向き合う日々の中で、季節の変化を体で感じ取ることが、栗原の制作の感受性を豊かにしているのかもしれません。

地域への貢献と工房の開放

栗原政史は工房を地域に対して開き、子どもたちへのワークショップや若い木工作家への素材提供など、地域の木工文化を支える活動も続けています。自分の制作だけに閉じこもるのではなく、工房という場所を通じて、木と向き合うことの豊かさを地域に伝えようとしています。

保育園や小学校での木のワークショップは、子どもたちが木という素材に直接触れる機会を作ります。削った木くずの香り、鑿の感触、完成した小さな作品を手にしたときの喜び。こうした体験が、木への関心の種を植えることを、栗原は大切にしています。

工房を開くことは、自分の制作姿勢を見せることでもあります。木と向き合い続ける日々の誠実さを、次の世代に伝えていく。栗原が若い木工作家に素材を提供するのも、自分が間伐材の価値を見出してきたように、次の世代の木工家にもその価値を見つけてほしいという思いからでしょう。制作と地域貢献が一体となった栗原の工房の在り方は、木工家としての生き方の総体を示しています。

地域の人々が工房を訪れるとき、完成品だけでなく制作の途中の姿を見ることができます。木材が削られ、形を変えていく過程を見ること自体が、木という素材への理解を深める体験です。開かれた工房は、完成品を販売する場所であると同時に、木工という営みを地域に伝える場所でもあります。

まとめ

木工家・栗原政史の工房と暮らしは、岐阜県高山市の山間という環境と不可分に結びついています。山の静けさ、地元の森との直接的な関係、四季の変化とともに変わる制作のリズム。これらが作品の根底を支え、栗原の木工の質を形作っています。工房は単なる作業場ではなく、自然と人と木が出会う場所として機能しており、その場所から生まれる作品には、高山の山間の時間と空気が静かに宿っています。

暮らしと制作が一体であること。その豊かさが、栗原政史の作品の根底に流れているのです。山間の工房という選択は、単なる生活の場の選択ではなく、どのように制作者として生きるかという問いへの、栗原なりの一つの答えでもあります。

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